Biography

  • 1985手塚治虫ファンクラブに入会し、毎日手塚作品を読み漁る。
    手塚先生に自分の四コマ漫画を見せ、感想をいただいたことに感激し漫画家を志す。
  • 1986斉藤由貴ファンクラブに入りミーハーな毎日を送る。
  • 1987ジャケットの写真に一目惚れして聴いたティファニーで洋楽に目覚める。
  • 1988オジー・オズボーンを聴いて脳天を撃ち抜かれ、将来の夢を漫画家からオジー・バンドの次期ギタリストに変更。
  • 1989初めてのギター(シャーベル社製エレキ)を手に入れ毎日練習に明け暮れる。
  • 1992「東京ラブストーリー」 に憧れて上京。
    ランディ・ローズのお墓参りのためカリフォルニアへ旅行。 サンセット大通りのタワーレコードでジャケ買いした 『ホテル・カリフォルニア』 に魂を揺さぶられ、ウエストコースト・ロックに目覚める。
  • 1993初 CD 化されたビートルズの赤盤と青盤を聴いて衝撃を受け、将来の夢をオジー・バンドのギタリストからシンガー・ソングライターに変更。
    ビートルズと自分を比較し、自分にできない4つのもの(楽器、ボーカル、作曲作詞、英語)を習得することを決意。
  • 1994ジャクソン・ブラウン本人にインタビューしたことがある人と出会い、ジャクソンの存在を知ってのめり込む。
  • 1995武道館で観たエルトン・ジョンのコンサートに感動し、すぐに翌日9,800円のキーボードを購入。
    「僕の歌は君の歌」 を練習しようとするも鍵盤の数が足りず、最初の練習曲を 「イマジン」 に変更。
  • 1996着ぐるみとビル掃除のバイトで貯めた有り金を手に、1970年代にジャクソン・ブラウンやグレン・フライ、J.D. サウザーが住んでいたアパートに入居するため渡米。
    渡米直後にこのアパートが取り壊しになっていたことが判明。
    失意を味わうもそのまま現地にとどまり、ロサンゼルス近郊のバーやライブハウスで演奏活動を展開。
  • 2000ビザが失効したため不法滞在者になることを恐れて帰国。
  • 2003自主制作ミニアルバム 『Side 1』 をリリース。 プレーヤー誌で好レビューを獲得。
  • 2004都内近郊でのライブ活動を本格的に開始。
  • 2008某インディーズ・レーベルよりファースト・シングル "Sweet Way" をリリース。
  • 2009某インディーズ・レーベルよりセカンド・シングル "Sea Of Anxiety" をリリース。
  • 2011ジャクソン・ブラウンのレパートリーが10曲を超える。
  • 2012ジャクソン・ブラウンのレパートリーが20曲を超える。
  • 2015ジャクソン・ブラウンのレパートリーが30曲を超える。
  • 2017ジャクソン・ブラウンのレパートリーが40曲を超える。
  • 2019ルート66(シカゴ〜ロサンゼルス間 3,940km)完走。